明るい教会を目指して【 牧師 布施 勉 】 (R3.3.31引退)

 「空の鳥を見るがよい。蒔くことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。」                    マタイ 6:26
 
1 私は、20代の初めに信仰に入りました。4年間働いてから、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の中央聖書学校に入学し、3年後に卒業いたしました。
 
2 巡回伝道隊奉仕の後に、私達は、山形市に開拓派遣を命じられ、東京を後にしました。
 

3 1972年3月21日からD.マックレーン宣教師御夫妻と共に市内の西側に働きを始めました。トラクトの個別配布や、27日間の天幕伝道会をしながら来会者を招きました。

4 30代には信徒が加えられて、土地と礼拝堂が与えられました。

5 40代は、教会が成長してきた中で、自分は病に倒れ(クモ膜下出血)、戦いの日々でしたが、回復を得て再び牧会・伝道に立つことができました。

6 50代は、地道に教会の成熟を目指して取り組んできました。

7 60代は、3名の献身者(佐々木千津師、布施宣義師、柴崎めぐみ師)を送り出しました。また、会堂及び牧師館の改修工事をすることができました。今後は、人生の完成を目指して、一歩一歩の前進を心がけて行きたいと願っています。
  プロフィール
1942年1月8日生れ、新潟県出身、『誠実と実行の人』
1966年4月  日本アッセンブリー教団中央聖書学校入学
1969年3月  同校 卒業
1969年4月  巡回伝道隊派遣
1972年3月  山形神召キリスト教会牧師就任
1997〜1999 東北教区長就任 現在に至る。
  趣味
カメラ、ガーデニング、庭木の手入れ等

【 伝道師 布施 トシ枝 】(R3.3.31引退)
 20代の時に職場でクリスチャンの友達から聖書のお話を聞き、教会に導かれました。信仰の決心まで時間がかかりましたが、1964年に受洗し、2年後に中央聖書神学校に入学しました。
 1972年から山形開拓伝道に遣わされ、現在に至っていますが、主に日曜学校とお母さんチャペルの働きを任せられてきました。教会近くの西部北公園で出会った子ども達が日曜学校に来ていますが、伝道者になったお友達もいます。


【 佐々木健・千津師 】('04.4〜鳥取教会、'05.4〜佐々木牧師と名寄教会→釧路教会赴任)
佐々木千津師は、山形神召キリスト教会の日曜学校に導かれたことから救われ、同教会の献身者第1号となりました。



【 布施 宣義・和恵師 】('05.4〜函館ベテル教会、'21,04〜山形神召教会赴任)
布施宣義牧師は、布施勉・トシ枝師の長男で、山形神召キリスト教会からの献身者第2号です。



【 柴崎めぐみ師 】('08.4〜福山教会→北澤師と岡山教会赴任)
柴崎めぐみ師は、山形神召キリスト教会からの献身者第3号です。


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